ホリガイははじめっからイノギさんのこと好きだったのね ー 『君は永遠にそいつらより若い』
津村記久子さん『君は永遠にそいつらより若い』
大学生の無気力な日常を綴った話だと思って読み進めていると、登場人物たちの心の傷にフィーチャーされていく。
せつないけど、せつないまま終わらせない、闘う勇気と心意気がある。主人公の独特の言い回しも好きで、初めて読んだ大学生の頃から今に至るまで、ちょくちょく読み返している。
初めて読んだ時から変わらず響くのはこの部分
わたしはずっとイノギさんを気にしていたのだということを思い出した。わたしはイノギさんのことが好きなのだということを悟った。わたしの脳のメモリでは処理しきれないほどの情報が心に溢れかえり、思考の照明にあたろうと壁を這い上がった。おびただしく。
わたしはなにも振るい落とすことができなかった。なぜ愛は畏れと同じように僕の心には触れないのかと歌った人のことを思い出した。それは逆ではないのかと子供の頃に思った。よその家の便所で裸で震えながら、彼が正しかったことを悟った。
今回改めて読んで、主人公ホリガイはかなり始めから潜在的にイノギさんのことを好きだったのだなぁと思った。
知り合う前から何となく目で追ってたり、いつもは用が済むと放り投げる携帯を彼女とのメールのあとは放り投げなかったり、とある事件で深夜に一緒にタクシーに乗っている間ずっとこのままでいたいと思ったり。
愛という気持ちは、普段は気づかないくらい、当たり前にある感情なのかもしれない。
畏れのように敏感に感じ取れるようなものじゃないらしい。
私自身は経験を通してこのような悟りに行き着いた訳ではないけど、愛って、もっとさりげないものなのかもなぁーと想像できる。
ホリガイのこの気づきを読んで、自分の日常にも埋もれた愛はなかったか、脳のメモリを探って、読了するのにとても時間がかかった。
風邪をひろう
久しぶりに熱を出した。
駅ではたくさんの人のたくさんの咳やくしゃみの音を聞く。
不快だと思う。
風邪を引くのは電化製品でいう故障のようなものだと思っていて、人間の咳は不良品の故障音と同じようなものだと。
そんな不快感を貯めていたら、自分も風邪をひろってしまった。
野口整体では、風邪は経過させるものと説いている。野口整体の創始者、野口晴哉先生は風邪を引いても呼吸の仕方によって数時間で治してしまうらしい。
私はそんな呼吸の熟練者ではないから、1日経っても、2日経っても、風邪はまだ抜けない。
いつも喉からやってきて、鼻を通り、時に咳になって抜けていくのが通常のルートだ。
だが今回は、正月の普段食べないような豪勢な食べ物が効いたのか、急な発熱から始まった。
熱が出ると、途端に心細くなる。
子どもの頃、母親が看病してくれたことを思い出す。子どもに戻りたい、あの完全に守られた安心感を再び感じたいと、私の中の大部分を占める子どもの部分が、いつも蓋をされている暗い部分から這い上がってくる。
旦那がごはんを作ってくれた。
だが、そんな子どもに還りたい願望に取り憑かれていたからか、私の態度が彼の不興を買ったらしく、「君といると子どもを育てているみたいだ。夫婦とは思えない」と言われてしまった。
申し訳ない。
そしてやはり、あまり良いことではないと感じつつも、子どもに戻りたいとなお強く思ってしまうのだった。
自分に子どもができたら心持ちが変わるのだろうか。
言い訳
やらなくちゃいけない はやりたくないこと。
会社を辞めた。
フリーランスのイラストレーターになるためというのがその理由だ。
絵を描いて暮らすというのは小さい頃から憧れていた。嘘ではない。
でも本当は休みたいのだ。
今まで親が敷いてくれたレールに真面目にはみ出ないように生きてきたことで溜まっている心のおりを見つめ直したいのだ。
貯金はある程度ある。
半年くらいは下手な買い物をしなければ過ごせる。
でも一方で、それは良くないことだと責める自分がいる。働かない人間は責められるべきだ。
そんなことをしたら社会復帰ができなくなる。毎日ちゃんと作品を積み重ねないと。お前は意志が弱く、だらしがない人間なんだから。
もう1人の私が旦那を使って私を責める。
朝起きて、図書館に行って、本を借りて、カフェに行って、借りた本を読んで、電車に乗って、景色の良いところに出かける。
会社勤めだった頃の、明日のことを思うと胃が痛くなるようなストレスはなくなった。今はぼんやりとした不安がいつもどこかにただよっている。
そんな日々を1ヶ月ほど送ってみた。
休めていない。まだまだ、こんなんじゃ。
にきび治療にまつわるあれこれ、いちばん効果があったもの
初めてのにきび
わたしのニキビとの付き合いはかれこれ15年ほどだ。
初めてできたのは12歳の春、薬局で売っているティーン向けの化粧品で隠すようになった。
成長するにつれて、にきびは額とこめかみにもできるようになった。しかも痛いやつが。
それにともなって、鏡を見るのも、家族で写真を取られるのも嫌になった。わたしにとって思春期とはにきびとの戦いだった。
にきびとの戦い開始
にきびを治すために、まずは薬局でいろいろなものを試した。クレアラシル、オロナイン、オードムーゲ、等々。薬を塗っている間にも次々と新しいにきびは発生し、まるで顔の下でマグマが煮えたぎっているようだった。
薬局では効果が得られず、次に試したのが、プロアクティブだ。大々的に宣伝されていて期待値も高かったが、刺激がものすごく強かった。たしかアメリカ発祥の商品だったように思う。2週間ほど使って、あまりにも顔が痛くなったので中断した(説明書にはその痛みが菌をやっつけている証拠とか書いてあった記憶が・・・)。
大学に入って、にきびは頰にもできるようになった。これでにきびのない地帯は鼻筋だけになった。皮膚科でもらった抗生物質の塗り薬もそれほど効果なし。
こうなったら身体の内側からアプローチだと、漢方薬を処方してもらい、一年ほど続けた。これは少し効果があった。
にきびの出来る頻度が収まり、にきび跡がだんだんと薄くなっていくころ、就職をした。
環境が変わると、またにきびの発生頻度が増えた。しかも、なぜか眉間によくできた。まるで大仏だ。
給料をもらうようになったので、少々奮発して皮膚科のピーリングに行くようになった。1回1万円程。ただ、跡が薄くなっても新しく出来るのでイタチごっこだった。
にきびは身体からのメッセージ?
この頃から、スピリチュアル系の本にハマるようになった。
その中で面白い考え方に出会った。リズ・ブルボーというカナダ女性が提唱する「身体の症状は全て無意識の自分からのメッセージ」というものだ。
その人曰く、にきびは、人に自分の顔を見られたくない、人を遠ざけたいという気持ちが作り出しているらしい。自尊心の低さの現れで、そのため周りを意識しだすティーンエイジャーによく出来る。大人になってもにきびができるのは、自尊感情が不足しているから。
ーーたしかに、にきびが出来ると人の顔をまともに見られなかった。顔を見られたくないから自分でにきびを作ったというのか。
いろいろ検索すると、他にも同じようなことを唱えている人をみつけた。
おのころ心平さんという方は、にきびの出来る場所で考え方のクセが分かるという。
例えば、顎にできるにきびは、自分に自信がない、卑屈さの現れ。額は、母親との関係に問題がある。頬にできるのは、愛情を、とくに異性からの好意を受け取れない。などなど。
どれも納得した。納得しても、だからと言ってにきびが治る訳ではなかった。
グルテンフリー
のちの旦那となる男性と付き合い始めた頃、彼からグルテンフリーという食事療法のことを聞いた。
グルテンフリーは、小麦粉に含まれるグルテンを摂取しない、という療法。グルテンはタンパク質の一種で、このお陰でパンやピザのもちもちした食感が出せる。ただ、現在使われている小麦のほとんどは品種改良されたもので、もともと自然界に存在していた原種に比べてグルテンの含有量がとても多い。その過剰なグルテンが腸に炎症を引き起こすと考えられているおり、不快な諸症状の原因と考えられている。
実践すると、たしかに皮膚が綺麗になっていった。かつ、痩せた。にきびの出来ることも明らかに減った。あとはいかに跡を治すかという段階に入った。
やはり、病は気から?
グルテンフリーは明らかに効果があった。だが、にきびが出来にくくなっても、跡が残っている。私が目指しているのは、子どものように完全に健康な皮膚だった。
現状維持を保ちながら、また模索の日々。
小麦を食べないことを貫くのはけっこう大変だ。街中で提供される食品のほぼ全てには、小麦が含まれている。和食に徹し(普通の醤油にも小麦が含まれているので、小麦のない醤油を買わねばならない)、人付き合いでも自分の意思を固く持たないといけない。たまに食べてしまい、にきびの出来るのを恐れるという、精神衛生的によろしくない日々を送った。
そもそも、ふつうに小麦をたべて肌が綺麗な人がいるのに、どうして私は平気じゃないんだろう?体質の違い? 嗚呼、パンやケーキがめちゃくちゃ食べたい。
そして、理想とはほど遠い肌で、結婚式を執り行い、実家を出た。
旦那と暮らすようになると、どうしてもグルテンフリーを出来ない時がある。だが、小麦を食べてもそれほど肌が荒れないようになった。というか、食べているうちに耐性がついたのかもしれない。
にきびに怯えて厳しく食事制限するより、ふつうに食べてそれほどにきびが出来ないのなら、ふつうに小麦を楽しんだらいい。かくして3年ほど続いたグルテンフリー生活はゆるやかに終了した。
やっと出会えた運命の洗顔料
もう少し綺麗になれる可能性を探っていたある日、Twitterからとある洗顔料の存在を知った。
それは米ぬかを原料にしたクレンジング洗顔料で、原材料が本当に米ぬかと小麦(!)のみ。実際に使ってみると、匂いは米ぬかそのものだし、泡は立たないし、顔に傷があったら死ぬほど滲みる。が、これが効くのである。洗い上がりが大げさじゃなくツルっツル、1度使っただけでキメが整い、続けていると肌がワントーン明るくなったような気がする。そしてにきびの治りが早い。(気がするんです)
今までクレンジングして洗顔してという2段階だったのが、これだと1度で済むのもありがたかった。今まで使った中で、この洗顔料が今現在のわたしの中ではベストである。
みんなでみらいを / 100%無添加 米ぬか酵素洗顔クレンジング
結果、何が最も効果があったか
今までいろいろと試してきて、結局何が1番効いたのか。
結論から言うと、ストレスを減らすことである。
なんともつまらない結論だが、今までを振り返ってみると、ストレスが減れば減るほどにきびは出来なくなった。原因となるストレスは具体的にいうと自分を恥ずかしく思う気持ち。
「にきびは身体からのメッセージ」論は、眉唾のようでいて、自分と照らすと本当にそうなのかもしれないと思う。
そして米ぬか洗顔。米ぬかはやっぱり肌が綺麗になる気がする。
さらに、にきびを気にしないこと。にきびが出来てもその存在を無視する。忘れるよう努める。人と会っているときも「わたし、にきび面で醜いよな〜・・・」とか思ってしまうのを止める。するといつのまにか治っている。
これらが、わたしの経験から得た現時点での1番の治療法である。
以上、もしここまで読んでくれた方がいたら、ありがとうございました。
美味しいのに満足感がないのはなぜ?
実家で暮らしていた時、晩ごはんの後に必ずお菓子を食べる習慣があった。
クラッカーだったり、せんべいだったり、みかんだったり。
晩ごはんの量が少ないわけではないのに、別の何かを食べないと収まりがつかなかった。
そしてお菓子を食べても、お腹が膨れても、なにか物足りなくて、家中の食べ物を探し回った。
家族全員がだいたいそうだったので、とくに何とも思っていなかった。
でも、大学に入って一人暮らしをするようになり、友人との食生活の違いを知ることになる。
どうやら家が変?
なんでみんなちゃんとご飯を終われるんだろう?
結婚して実家を出て、今は私が夕食当番である。
すると旦那が、食後になにかを食べたがるようになった。
あれ、これはデジャブ?
旦那の実家では、食後にデザートを食べることはあっても、幽霊のように家中の食べ物を探すことはない。
なんとか改善したいと思った。
料理本を読んでその通りに作った。品数も、主菜×1 副菜×2 汁物 に揃えた。
なのに、状況は変わらない。
そのうち、料理本の通り作るのが面倒になって(調味料を計るのが好きではない。塩と醤油以外の存在意義がよくわからない)
適当にするようになった。
ある時、有元葉子さんの料理エッセイにこんなことが書いてあった。
「いろんな味覚を出すと、身体が満足します。塩味だけでなく、苦味、甘味、酸味など意識して並べましょう」
ものすごく納得して、夕食に酢の物を出してみた。
すると旦那のお菓子を食べる頻度が減ったのである。
思い返せば今まで出汁と醤油の茶色っぽい味付けが大半だった。
母の料理も甘味と酸味は食卓には上ることが少なかったように思う。
これだけが原因なのかは分からないが、それからは副菜をなるべく違う味つけにするようにした。
といっても簡単なもので、醤油で和えるところを梅干しにしてみたり、甘酢にしてみたり、歯ごたえを出すためにナッツや豆を入れてみたり。(すべて有元葉子さんの本の受け売り)
話は変わるが、
自炊が続いた後でファストフードなどを食べたりすると、大変美味しい。
大変美味しいのだが、味がやはり手作りと違うのを感じる。
うまく言えないのだけど、四角いとうか、カチッと決まっているというか、味が口の中で広がるのが止まるイメージがある。
そして美味しいのに満足感が得られない。
ファストフードもまた味に多様性が足りないのかもしれない。
それを感じていてもなお、ファストフード店には月に1、2回のペースで訪れてしまう。
「あのこわたしたちの子どもなのよ」やっと分かった大島弓子のダイエット
大島弓子さんの「ダイエット」という漫画。
ダイエットというと、細くなるために食事を制限するイメージですが、これもそういう話です。
ただ、扱っているテーマがもっと重たい。
摂食障害、愛情飢餓、といったことが、淡々と描かれています。
これを初めて読んだのは中学生の時で、
当時はそんな話だとは気づきませんでした。
物語の終盤にこんなセリフがあります。
主人公の友人 数子(かずこ):
「あのこ あたしたちの子供なのよ」
「五歳児くらいその辺でウロウロしてるの 福ちゃんって」
「その上飢餓状態なの ハートがね」
「あたし あの子を育てるつもりだわ」
あの子というのは主人公 福子(ふくこ)のことです。
当時、ここの意味が全く理解出来ませんでした。
どうして高校生の友人のことを自分の子どもというのか、五歳児その辺でウロウロしてるって一体どういうことか。
10年くらい経って、
「毒親問題」「母娘問題」「機能不全家族」といった考えを学んだ今、ようやく分かりました。
主人公の福子は、家庭環境が複雑で、親から満足に愛された記憶がありません。
そのため、身体的には高校生で頭も良いけれど、精神的には五歳児あたりで成長が止まっています。
精神年齢は愛情によって育つんですね。
友人の数子は、福子の行動に振り回され、疑ったり訝しがったりしながらも、そのことに気づきます。
そして、「あの子を育てる」という宣言をします。温かいです。
よって、中学生だった自分の疑問に答えるとしたら、こうなるのではないかと。
「あのこ あたしたちの子供なのよ」
→福子は数子とその彼を心のよりどころ(疑似両親)としている
「五歳児くらいその辺でウロウロしてるの 福ちゃんって」
→福子の精神年齢は五歳児あたりで止まっている
「その上飢餓状態なの ハートがね」
→精神的には愛情に飢えている小さな子供の状態
「あたし あの子を育てるつもりだわ」
→福子の状態を理解したうえで、今までの友人関係を続けていく、または成長を見守るという決意
大島弓子さんの漫画は、登場人物のセリフがどれも客観的でユーモアがあり、悲観的なところがありません。
絵も線の少ないふんわりした感じなので、重いテーマもさりげなくサラリと軽く読めるのですが、それがかえって話の深みを増している気がします。
読後の余韻がすごいんです。
私も不安になったりイライラしたりすると
無性に何かを食べたくなりますが
それは心の穴を埋めるための代償行為なんですよね。
心の中に福子がいるなら、数子も同居させたいところです。
何が言いたいかというと、推しの漫画です。共感してくれる方がいると嬉しい。